
- 作者: 本田和子
- 出版社/メーカー: ななみ書房
- 発売日: 2019/04/15
- メディア: 単行本
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著者は前お茶の水女子大学長の本田和子氏。昭和6年生まれの著者は、戦時教育の下に育った「軍国少女」であった当時を、日本国史の教育と戦時歌謡・童謡の面から回想する。さらに戦後の変化の中で、自分の中で変わった意識、変わらなかった傾向を顧みる。幼児・児童教育に関心ある方や子育て中の方にとって感じるものがあるだろう。
著者が国民学校に通った当時、神話を起点とする歴史観が教育された。著者は神々や人々が繰り広げる「歴史」の展開に胸を熱くし、わが国が古き神の国であると納得しながら、この「歴史」を一種の「物語」ととらえている節もあった。軍国女子の複雑な世界である。
「…『本気で信じる』というのではないが、何となく『そうかな』程度には信じていて、与えられた課題はすべてこなしていた。」(14頁)
「『信じた』か『否』かは、それほど問題ではない。物語として心に響いてくれれば、それでよかったように思う。」(15頁)
社会に戦時色が深まると、戦意を発揚し、大戦を礼賛する歌が歌われることになる。
「戦時歌謡は、『音楽を動員せよ』という戦時体制の中で生まれた。そして、一番早く、一番巧みに、動員されてしまったのは、子どもたちであった。」(75頁)
歌が子どもの考え方に影響を及ぼす様がさりげなく、でもリアルに回想される。
終戦後は、戦前教育が意識に上らないほど多忙な毎日を経験。かつて「後には大和撫子 紅に咲きて匂いぬ」という戦時歌謡に悲壮感なき死を意識していた著者だが、大学生時代に沖縄戦のバンザイクリフでの女性の殉死映像を見て呆然とする。
「落ちていく女人の体は、さながら一箇の物体のようで、投げやりと思えるほどに何気なく呆気ない落下であった。『大和撫子』が『紅に咲きて匂う』とはこんなにも無機的で、物体のような女人の落下のことだったとは……。」(114頁)
本書は戦前教育の善悪に関する議論は一切しない。ただ、子どもは信頼する大人から受ける教育から影響を受けやすいということを、自らの経験をもとに述べている。当たり前だという意見もあるだろう。それはつまり善用も悪用も容易だということである。
軍国女子はどこへ?本書を手に一緒に探してみていただきたい。著者は「人生の終焉に近づいた今日」(181頁)というが、簡潔でクリアな筆致は健在。これからも、もっともっと話をきかせてほしい、と思うのだ。
(2019年4月、ななみ書房、1,200円+税)