負け犬の読書灯 〜本はいい。無秩序にご紹介〜

今日か明日、書店に行きたくなる書評

確かに、オカルト番組、見かけなくなった

【本の紹介】オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析 [著]高橋直子

青弓社、2019年1月発行、261頁、2,800円+税)


ユリ・ゲラーの念力で家の時計が動きだす。川口浩が秘境に分け入り未知の少数民族を発見。新倉イワオは心霊写真を実直に解説。宜保愛子の霊視にゲストが感涙。このような超能力、心霊、UFO、未確認生命体、スピリチュアルを扱うオカルト番組はあまり見かけなくなった。オカルト番組がどのように流行り、なぜ姿を消すことになったのか。著者は、丹念な資料・映像分析と社会心理学・宗教学の知見を駆使し、その経緯を解明する。

 

戦後の初期、オカルト番組とは、心霊現象のトリックを暴いて白黒つけたり、心霊現象の真偽をめぐる論争を視聴者が見て楽しんだりするものであったらしい。1960年代後半に至り、超自然的現象を真実っぽく放送しながら、判断は視聴者に委ねるスタイルが登場。6811月、フィリピン青年がメス・麻酔なしで皮膚に傷一つ残さず、盲腸や子宮筋腫を摘出する術が番組で紹介された。その後も、同様の施術がテレビ・マスコミに登場、日本人を含む多数の患者がフィリピンに渡ったという。ここまでくると「信じるか信じないかはあなた次第」とすましていられなくなる。

 

80年代には、川口浩探検隊シリーズのように視聴者がテレビにツッコみ笑いにする番組が広がる。未知の少数民族を求めジャングルに分け入る川口浩は至って真剣だが、あんまり動かないワニとの格闘や滝にダイブする姿を見せるサービス精神旺盛のターゲットに視聴者はツッコむ(嘉門達夫「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」のノリである)。ただあくまで「〇〇人を発見した」というナレーションでやらせとは言わない。

「そのために、オカルト番組は、何が、どこまでが「お遊び」「お座興程度」でありうる演出(シャレ)なのか、わからなくなっていく(p.155)」のである。

 

そして、宜保愛子江原啓之のスピリチュアルものが登場。死者との交信で奇跡や感動を訴える番組では、それがインチキだと論証することはそもそも難しいし、ツッコんで笑いにすることもできない。しかも心から信じている人もいる。このように、常識とオカルトの区別がつきにくくなったことに、オカルト番組衰退の核心があるのではないか、と著者はいう。ここ(第5章、終章)が本書のヤマ場だ。川口浩シリーズでいえば、とうとう未知の民族の村に到達した感じ。十分にご紹介できないが、宗教とテレビの関係にも踏み込んだ興味深い議論が展開されている。

 

本文で紹介される事例や引用文献も豊富で、ここから興味を分岐していけば、更なるオカルト世界分析の世界が広がりそうな気配だ。