
- 作者: 中田梓音
- 出版社/メーカー: 三元社
- 発売日: 2019/10/11
- メディア: 単行本
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研究者にしてスナック女子(スナ女)の著者が、スナックのママの「『痒いところに手が届く』接客の技術」を言語学の観点から解明しようとする異色の研究である。そのために著者は京都市内のスナック3軒を中心に5年間にわたるフィールドワークを実施。ときに客として、またときには皿洗いの従業員に扮し、ママと男性客の会話を聞き、分析と考察を深めたという。
第1章はスナックの歴史や先行研究への批判的検討。抽象的で難解な箇所もあるが、ざっと概要がわかれば十分だろう。スナックが家庭的な雰囲気の飲酒の場として発展してきた過程が興味深い。
第2~4章は、3軒のスナックのママ達と男性客の会話分析。とはいえテキスト化されたやり取りを見ると、ママの飼い猫がどうしたとか、今日は暑いけど風があるからましとか、他愛もない会話ばかり。しかしここから著者はママ達に共通する次のような接客技術を見出す。
・丁寧体から途中で普通体に変化させることで、親密さを表出。
・ユーモアに誘われたら乗っかり、面白い話でなくとも笑い声で答える。
・他者や客を卑下するユーモアは出し方やタイミングに注意しつつ出せば有効。
・ママ自身の婚姻・恋愛・家族の情報は秘匿し、男女関係への客の夢を損なわない。
なるほど。でも、正直あまり意外性を感じなかった。経験知を立証したことに意義があると理解すべきなのだろうか?
しかし、第5章で状況は変わる。ここでは仮設のスナックを設け、スナックのママの実務経験がない著者自身がママを務める。そして先のプロママの会話技術を使えば素人ママ(著者)にも客にスナックらしい親密さや満足感を与えられるか実験するという。会話技術(だけ)で客の心理や場の雰囲気にどの程度予期した影響を与えられるかを調べようというのだ。そうか、これがしたかったのかと納得。
結果的には会話技術が奏功した場面と、そうでなかった場面があったようだ。何が効いて何が効かなったのか、その理由も含めてかなり丁寧に分析されている。例えば、本物ママは客に結婚歴を明かさなくて普通なのに、著者はその点を秘匿して客にマイナスの印象を持たれている。この点、自身にママの「貫禄」がないのが理由だろうとする。貫禄。確かにスナックのママは客にサービスしながら、どこか客を含めたその空間の頂点に君臨する雰囲気の人がいる。おじさんらの話を慈悲深く聞く菩薩みたいな人もいる。
いずれにしても本書は、言語学に興味ある人には少し奇抜な研究フィールドであるという知的刺激になるだろう。スナックが好きとか興味のあるという人には、そこで繰り広げられる会話の中に潜む様々な技術と、接客者・客双方の思いを感じることができるだろう。なお、私には行きつけのスナックはなく、上の人のお付き合いで行く程度だ。ただ本書を読んでいると、何というか、気軽に行ける店があってもいいと思ってしまった。そういう歳になったということか。(鉄)