負け犬の読書灯 〜本はいい。無秩序にご紹介〜

今日か明日、書店に行きたくなる書評

「クリエイティビティ+鉄道愛」が生んだ刑法学の入門書、出現。

どこでも刑法 #総論

どこでも刑法 #総論

【書評】『どこでも刑法#総論』[著]和田俊憲
刑法学は「ある人が誰かの利益を害したとして、そこに犯罪が成立するかどうかを扱う」(p.ⅳ)学問である。明治以降今日までの間日本の刑法学は壮大で複雑な体系を築きあげてきた。

そんな刑法学に、クリエイティビティにあふれる型破りで画期的な入門書が登場した。『どこでも刑法#総論』というタイトルもこの分野では異色で、新境地開拓の意欲が現れる。B6189頁とコンパクトサイズで持ち運びも便利。私は神戸・六甲山へのトレッキングに連れて行った。山上で急な雨に見舞われ、本の下端がよれよれになったが、災難を共にし本書への愛着が深まった。

はしがきの1ページ目は電車の切符を模し、そこに次の記述がある。

第一歩を踏み出す前に

どこでも → 刑法(総論)
購入日から改訂版発売日までに限り有効
途中下車・引き返し可(必要に応じて他の文献にあたったり、前の箇所を参照しながら読み進めましょう)

著者の和田教授の鉄道マニアぶりは有名で、鉄道とは関係のない本書でも鉄道愛が炸裂している。あとがきと索引以外の全ページに線路や電車・汽車のイラストがあり、各章1頁読み進むごとに電車が1駅ずつ進んでいく凝りよう。読み進めるうちに電車が終点に近づいていくのが励みになる。

以上のように初学者向けの楽しい企画が満載の本書だが内容は確かで、高度である。刑法学の教科書の伝統的な構成を解体し、教育に配慮した流れ。「一巡目」の部で全体を概観したうえで「二巡目」では先の論点を深めつつ新たな論点を足す構成も斬新だ。従来の教科書ではなかなか捉えにくい、思考の道筋が丁寧に示されているので、学説の森で遭難し、結局結論を出せない弊害に陥ることなく進めそう。個人的には正当防衛を巡る解説が大変勉強になった。正当防衛は、防衛行為の目的や反撃の手段、防衛行為の結果の取扱いを巡り、いまだに議論の続く分野である。本書はそれらをエレガントに整理し、きっちり考え方の道筋を示してくれる。刑法を大学で学ぶ学生の皆さんは、本書を読んだほうが絶対に得である。刑法を勉強した人には頭の体操になるし、何より楽しい。刑法学に興味がわいた方も良かったらチャレンジしてみてください。(鉄)

(書評は以上です。以下は個人的な話です。)
刑法学は、私の学生時代のすべてとまでは言わないが、それに近い存在だった。そのエキサイティングで難解な世界を手中に収め、将来の仕事にしたいと勉強したが、叶わなかった。刑法学はこちらの思いを知ってか知らずか、高い場所から時々こちらを見ている。まるで片思い相手の女の子のようであった。刑法と無関係な仕事に就き、しばらくは未練があったが、そのうち刑法学や法律学全体が憎らしくなった(さか恨みだ)。しかしここ数年、心境にも変化があり刑法学への興味が戻ってきた。長らくご無沙汰していた間に刑法学は確実に進んでいた。新理論が登場し、かつての亜説が通説になっている。やっぱり刑法学は素晴らしい。片思い相手の女の子を十数年ぶりに見かけたら、すごく都会的で綺麗になっていた感じだ。切ないけどうれしい。うれしいけど切ない。

(2019年10月刊、有斐閣、1,800円+税)