負け犬の読書灯 〜本はいい。無秩序にご紹介〜

今日か明日、書店に行きたくなる書評

女性美を兼ね備えた青年内科医が女性関係と人生に悩んだ挙句…(舟橋聖一著『薔薇射たれたり』)

『薔薇(ばら)射(う)たれたり』は昭和211946)年、雑誌『女性』に連載された作品である。恋敵の女性同士が電車で向かい合わせになるというような不自然な偶然がいくつか見られたり、語り手の「私」が途中からいなくなったりと、完成度を問題にしようとすればできるが、そこに拘っては作品の魅力が見えなくなる。本作品は、理屈で割り切れない男女愛、性、男の弱さが、戦時中の世相を背景に舟橋らしい繊細な描写で表現された佳作である。

医学生・志納力哉は女性美を兼備した美青年。女性にモテるが浮いた噂もなく、下品な会話さえ嫌がる堅物である。スキー中に薔子(しょうこ)と衝突しかけて転倒、負傷したことをきっかけに2人は出会う。バブル期の恋愛ドラマみたいですね。さて卒業後の志納は大学の内科医局に職を得、医局部長の娘との結婚まで期待されて順風満帆だが、患者との女性関係を疑う誹謗中傷に耐え兼ね退職、千葉の牧場に隠遁してしまう。薔子は志納を思いつつ、若手映画女優として有名になるが、業界関係者に半ば強引に迫られ妊娠、表舞台から姿を消す。のびのびとスキーをしていた時期は、お互い過ぎてしまったのである。

牧場で落馬して視力障害を負った志納は、献身的なある女性と結婚するが彼にとって気詰まりな生活が続く。やがて軍医として出征する前夜、志納は薔子を訪ね一夜を共にする。ほどなく眼疾が悪化し帰国して療養を始めた志納は、妻との関係を整理しようとしながら薔子との関係を継続。しかし薔子には昔の男がつきまとい、彼女は志納を愛しながらその男から逃げることができない。医師復帰を目指すも眼疾の鎮痛剤への依存状態となり退廃した志納は遂に、薬物とピストルを携えて宿を出る。

美青年ドクターと人気女優だった2人が、気づけば遠くまで流されていった。志納はもともと女性と気安く交際しない(できない)人物と描かれているが、実際には、ときどきに高まる自分や相手の感情の動きに押されると案外弱いところがあり、最終的にはデカダン(退廃)に至っている。

かうしていつも、志納は女との過ちを重ねてきた。気が弱いといえば弱いのであらう。人が良いといえば良いのであらう。必ずしも、自分のための情慾ではない。女を、振り切る強情が足りないのだ。(p.241

 理性を超える感情に突き動かされる男女の健気さと哀しさ。私はこれが、舟橋作品に通ずるテーマの一つだと思っている。舟橋聖一は多筆な作家で、特に40代、50代の頃の作品数はすごいものがある。晩年、視力を失った後も口述筆記で小説を作り続けた。隠された舟橋作品の魅力をこれからも少しずつ記録化していきたい。

いわゆるネタバレになる書評は書かないことにしているが、この作品が入手困難であることから少し申し上げると、薔子の名はタイトルにもある「薔薇」に由来している。そしてタイトルによると、薔薇は撃たれる。(鉄)

(『薔薇射たれたり』舟橋聖一著、昭和22年12月発行・同23年5月再版発行、矢貴書店、定価220円)

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