顔師(かおし)とは、芸者衆や踊り子に化粧をほどこす職業。本作は、顔師の男が日本舞踊の名手お糸さんの思い出を語る短編小説である。昭和32年初出、全集・選集によく収録された作品でもあり、初めて舟橋作品を読む方にお薦め。
私が好きな場面がある。顔師が初めてお糸さんに化粧をするところである。24歳のお糸さんが浴衣の諸肌を脱ぎ、顔師の前に座る。
…わたしは、お糸さんの玉の膚を見たとき、生まれてはじめて、刷毛を持つ手が、微かながら慄えるほど、何ンともしれぬ妖しいときめきがあつたのです。
先ず、首つきの可愛らしさといつたら、無類と感じました。それから胸。腕のつけね。肩のまる味。二つの乳の隆起。それから下は、見ることを許されません。
初対面の2人の間にある軽い緊張感とお糸さんの美を、顔師の手の震えと、視線の動きで表すこの表現。男の眼で見ていることで、美しさと艶めかしさを併存させている。
さて、この仕事を機に、顔師はお糸さんのご贔屓になる。夫と死別し障害のある5歳の養次君を女手一つで育てながら、昼夜問わず舞踊に打ち込んでいくお糸さんに「思慕と傾倒」を抱きながら、彼は公演旅行や生活全般を手伝うようになる。
そして事件発生。次期家元に内定したお糸さんは京都公演での大事な新作の振付を任される。しかし肝心の作曲(唄と三味線)の完成が遅れ、振付がつけられない。何とか公演10日前に曲ができたが、京都に前乗りしたお糸さん不在の折、大切なレコードを養次が割ってしまう。終戦直後のこと、一発録音した音で直接溝を切った一点ものだろう。事故直後に現場に来た顔師、これは一大事と京都へ電話。電話口で「……苦しいわ、あたし……」という言葉を残したお糸さんは、旅館から姿を消し行方不明となる。京都に駆け付けた顔師や家元にも手がかりなし。お糸さんはどうなったのか。
夫に先立たれ、養次君の将来を案じながら、日々の苦しさを払いのけるかのように日本舞踊にストイックに打ち込むお糸さん。舞踊界での貫禄がつき、凛として自立したように見えて、危うい雰囲気もある。この際、顔師になってもっと彼女を見ていたい、あるいはいっそ傍で何かの役に立ちたいと思ってしまうのだが、これは約40頁の短編である。結末は早々に訪れる。最後の場面、7月の夜、京都・加茂川沿いの涼風が心地よすぎて、哀しい。(鉄)
「顔師」(舟橋聖一著、昭和32年6月発行、新潮社、定価250円)を底本とした。