負け犬の読書灯 〜本はいい。無秩序にご紹介〜

今日か明日、書店に行きたくなる書評

さようなら、小さな広場の喫煙所

東西に並ぶ古い商業ビルが,2階部分の通路でつながる。通路の南面には屋根がなく,幅20メートル程度の小さな広場になっている。このスペースは喫煙場所として使われてきた。3月中旬,年季の入った3台の灰皿に張り紙を見つけた。3月末で喫煙場所としての利用を廃止するという。

この場所は,ある時期,私にとって心の支えだった。昨春,人事異動ではじめて企画部門に配属された。担当するラインには難航しているプロジェクトが幾つかあることは前から知っていた。行くとやはり難しくて,配属直後から上司や役員から遅れや不備を責められ,結局ゴールデンウィークも出た。今考えれば,自分がいなかった時期の不備を指摘されても困るのだが,その時はここで失敗したら先がない,と自分で追い詰めていた。そういう余裕のない心境ではナイスなアイデアや行動は出てきにくい。

この喫煙場所は,勤務先と駅を結ぶ線から少し西にずれたところにある。いつしか出勤前にここに寄るのが日課になった。3人掛けの椅子が2脚あって,空いていればその端っこに座った。意識して何も考えないようにしながら,重たい煙をただゆっくり吸ったり吐いたりした。

毎日同じ時間に通うと,同じ人に出合う。多くはなかったが,いろいろな人がいた。明るい色の髪をひっつめて,いつも同じ場所にまっすぐ立って喫煙する女性。朝なのに疲れ切ったようにうなだれていた寝ぐせ頭の若い男性。自分はどのように見られているのだろうと考えたりもした(出社拒否気味な会社員か)。ここには皆ひとりで来る。仕事前に自分を整える人の無防備なしぐさや,憂鬱を振り払って頑張ろうとする人の姿を,毎朝見せてもらった気がする。

朝の太陽光線が熱く感じられる初夏になっても,毎朝,毎朝,飽きもせず同じことを繰り返した。ここで過ごす20分間が心の安定剤だった。しかし夏にオフィスが別ビルに移転となり,時間的にそこには通えなくなった。この場所に頼ることなくやっていかなければならなくなった。

夏が過ぎ,長い秋も,寒さが厳しくない冬も終わり,また春が来た。ブレイクスルーを求めて相当多数の方々に時間を作ってもらい,話を聞きに行き,立て直しに臨んだ1年だったが,達成度には不満があった。そんなわけで3月の人事査定は「死」を覚悟して臨んだが,想像以上の評価をもらい逆に拍子抜けした。4月から同じ部署での2年目がスタートしている。

今後,どうしても心の退避場所が欲しくなったとき,どうしようか。別に喫煙所でなくてもいいのだが,あの場所以上のものは現れるのだろうか。そういうものが必要とならない日々を送りたいものだが,その時になれば考えるしかない。今は,いつも私を待っていてくれたあの喫煙場所が懐かしい。そして,当時その脇を通行していた皆さんにお詫びしたい。毎朝,長居してすみませんでした。(鉄)

補足:私は「吸える場所が不当に減らされすぎている」とか「喫煙者が虐げられている」といった意見に賛同しない。周囲との関係性による調整ごとは,何も喫煙に限ったことではない。たばこの持つ性質に対する理解の変遷に応じて規制やマナー意識が移ろうのは,当然である。

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デューク東郷(ゴルゴ13)にそのような悩みはないのだろう。たぶん。