探検家たちが人類初の北極点到達を競った19世紀末。気球で北極点を目指した3人の男たちがいた。彼らアンドレー北極探検隊は、母国スウェーデン北端から水素気球で発ち、広大で危険な氷上を進むライバルをしり目に北極点上空を通過し、北米大陸かどこかに着陸する予定だった。
ところが、42歳、27歳、24歳の3人を乗せた気球は出発直後から操縦不能となる。3日弱上空を漂った彼らは、北極点を見ることなく氷上に不時着。通信手段に伝書鳩(!)しか持たない3人は文明社会と断絶されてしまう。その遭難から33年後の1930年、北極海の無人島クヴィト島で彼らのキャンプ跡と白骨化した遺体が発見される。遺された日記からは差し迫った死の危険は感じられない。十分な食料や医薬品も残されたまま。彼らの足取りや死に至った経緯は謎に包まれていたことから、後世に様々な推測を呼んだ。
著者はこの遭難事件に強い関心を抱き、その真相、特に3人が死に至った原因を究明しようとする。医師でもある彼女は科学と論理を駆使して遺品や当時の記録をもとに旧来の俗説を排除し、結論に一手一手迫る。また、どうしても現場を見ないと気が済まないタイプのようである著者は、あるときは流氷浮かぶ北極圏へ赴き、またあるときは博物館と交渉して遺留品調査のために車を飛ばし、そして遂に探検隊員が絶命した最後のキャンプ地に踏み込む。
本書は、探検隊やその周辺人物に起こったことや、自身の調査の足取りという事実を調べ上げて記述する。意図的に予断を排除しようとしているようにも見える。著者自身、本書冒頭でこう宣言している。
この本に記されていることは、すべて真実だ。全部、ほんとうにあったこと。
ただし、このページの左隅にこっそりこう書いてある。
267ページから270ページまでを除いては。
本書の終着点となるこの4ページに、アンドレー隊3人の死に関する著者の推理が記されている。それは事実と論理を積み上げた末での帰結であるだけに痛ましく、悲しい。読者はここで120年の時を隔てながらアンドレー隊を傍で見つめていた自分に気づく。そのように惹き込むものが彼らの探検と著者の筆にはある。
遭難したアンドレー隊3人の行程は過酷なものだった。彼らは自分たちの冒険を後悔しただろうか?気球という気象条件に大きな影響を受ける乗り物で、飛行実験することもなく北極点を狙うとは無謀にも思える。しかし勝算あればこそ彼らは飛び立った。着陸先で歓待されることを想定し彼らは正装まで準備し、それが最終キャンプ地で発見されている。成功でなければ失敗だとすると、彼らのトライアルは失敗に終わった。ホッキョクグマを撃って食糧にしながら重いそりを押しつつ進行した彼らの冒険を、失敗だと断じることが私にはできない。
なお、この遭難事件にはサブストーリーがある。最年少の隊員ニルスと、婚約者アンナの物語である。ニルスがアンナに宛てたメッセージが日記に多数残されている。消息不明の婚約者を思いつつアンナは別の男性と結婚、やがて天寿をまっとうする。彼女の遺言が成就するとき、遭難から半世紀を経てニルスとアンナの人生の物語がつながる。
柔らかい文体で読みやすい翻訳。加えて、アンドレー隊3人の姿や遺された探検中の風景を撮った写真、キャンプ地にあった残留物の写真などが多数掲載され、それだけでも興味深い。本編約280頁の作品にして様々な感情に読者を誘う、まさに快著。(鉄)
(青土社、2021年、2,200円)