わたしは気球に乗ると決めた。あの男にはあなた以外の人と気球に乗るからと告げた。浜風のまだ暖かい夕暮れだった。誰かのクルーザーが波に揺られて上に下の動いていた。
あの男は動揺していた。早口で少しだけ何か言ったはず。そして徒歩で立ち去った。一度振り返り、小さく手を振って、そしてねずみ色の闇に消えた。ああ、これでせいせいした。
わたしの夢をあの男は叶えられない。地球上のどこかに存在し続けるのはあの男の権利だ。好きにすればよい。
わたしは彼と気球に乗った。彼と相談して、バルーンが紅白のストライプのにした。秋空は高く、雲もない。こんなにいい日和はこれまであったはずだけれど、今日ほどではなかったはず。高度が上がると、恐怖と覚悟。そんな世界に踏み込めたしあわせが身体を巡る。彼とならきっと夢が叶う。少なくともその可能性がある。夢。ああ本当に、本当に良かった。気球に乗った自分が誇らしい。
澄んだ風が吹く。気球の下に見える街と山。この辺りは沼地が多いらしい。あれがそうだろうか。わからないけど、どうでもいい。汚い沼地に用事はない。
あの男、何て名前だったっけ。(鉄)